|
平成14年5月30日、私たちのもとに待望の赤ちゃんがやってきました。5月というのに夏のような暑い日が続く中、自宅近くの産院で産まれたこの子を、私たちはさくらと名付けました。「さくらの「さ」は五月(さつき)や早苗(さなえ)と同じ5月の稲の神様の名で、さくらの木はその神様が宿る場所」という話に「じゃあこの子は5月の神様が守ってくれる」という願いを込めて「さくら」と名付けました。
|
 |
さくらは1歳1ヶ月から保育園に通い始めました。毎日ミミズをつかんだり、雑木林をよじ登ったり…、元気にすくすくと育っていました。今年4月、新しい保育園に入り、環境が変わったせいか、風邪の症状が続いたときも、すぐに元気になるものだと思っていました。症状が治まっても尿に少量の血液反応が出ていたことから、「念のため精密検査を」と言われたときも、「こんなに元気なのに病院に連れて行くのか」と、全くのんきに構えていましたので、心臓の病気を疑われた時もまだまだ現実感がありませんでした。
|
|
そんな中、ちょっと風邪を引いている程度にしか見えないさくらが「特発性拘束型心筋症」という、原因はわからず、10万人に1人もいないという珍しい病気だと告げられた時、私たちは二人で泣いてばかりいました。さくらの前では泣かないように努力しました。しかし、時々我慢できなく涙をこぼすと、そばに来て「よしよし」と小さな手で優しくなでながら慰めてくれるさくらに、よけい涙があふれてしまいました。3歳、4歳というかわいい盛りの無邪気な笑い顔。こんなに元気なのにいつ突然倒れるかわからない病気だなんて…。代わってやれない、自分のふがいなさに世の中はとてつもなく非情に見えました。
|
しかし、さくらは連日続く病院の検査やお薬に、少し不安げながらけなげに取り組んでいました。それ以外はいままで通り夢中になって遊び、こぼれんばかりの無邪気な笑顔を投げかけてくれる娘に、私たちはさくらの将来を少しずつ前向きに考えられるようになってきました。
|
 |
 |
医師の診察では早い段階から「現代の医学では有効な治療法はない。移植しかない。」と告げられていました。しかしその移植の道は、日本では開かれていません。まだ幼いさくらが、いや、幼いのに、海外にわたって海外の人々の善意で提供される心臓を移植するしかないのです。家族3人で、力を合わせて道を開いていくしかない…。はじめはひとり私たちだけがぽつんと離れ小島に取り残されたような気持ちになりましたが、温かい友人達の支援で、幸いさくらを救う会も立ち上げていただくことができました。 |
|
移植を実現するには膨大な費用がかかります。皆様のご好意におすがりし、募金に頼らざるを得ないことは、誠に心苦しく存じますが、なんとしてもさくらを助けたいと思う気持ちをご理解いただき、なにとぞさくらに生きてゆくチャンスを与えていただければと心から願っております。
小さな身体で一日一日、病気と闘っているさくらに、なにとぞ皆様の温かいご支援とご協力をお願い申し上げます。
|
|
|